飫肥の魅力

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飫肥地区とは?

飫肥藩伊東家の城下町

飫肥藩主を勤めた伊東氏は藤原氏南家の家系です。6代伊東祐持の時に、足利尊氏より所領を与えられ、代々日向の都於郡城を居城にその勢力を拡大しました。
一度は島津氏に敗れて国を失い豊後国に落ちたものの、豊臣秀吉に仕えた祐兵が、天正15年の九州平定で功績をあげ、飫肥城を与えられます。以降280年余、飫肥藩を伊東氏14代が治めました。

明治期以降も、飫肥の町は南宮崎の政治経済の中心地でした。長期にわたって地域の政治的中心であったことから、城郭や歴史的建造物に加え、伝統芸能、年中行事が重層的に存在して、飫肥城下町の歴史的風致や景観を形成しています。

飫肥の歴史について

九州で最初の
伝統的建造物群保全地区

飫肥では,三方を囲む酒谷川を天然の堀に見立て,地形の特徴を活かした地割りがなされました。城下は,飫肥城に近い所から,上級家臣,中級家臣,町人,下級家臣の住まいが配置されていました。武家屋敷は,格式に応じて門を構え,飫肥石(近郊で採掘される灰白系の凝灰岩)や玉石の石垣上にお茶等の生垣をめぐらしています。

明治時代以降,街路や地割はほとんど当時のまま残されたことから,石垣や生垣,門など武家屋敷の外構もよく保存され,周囲の自然環境とともに,全体として良好な歴史的風致を維持してきました。
そのため,昭和52年5月,地方における小規模な城下町の典型として,武家町を中心とするその一部(約19.8ha)が,九州で最初の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

飫肥の見どころについて

  • 1

    石垣と武家屋敷

    飫肥の武家屋敷の特徴は、道路に沿って石垣を整然と積み上げ、石垣の上には茶の木等の生垣、入口には格式に応じて薬医門や長屋門などを設けています。石垣と生垣は道路からの視線を遮らない程度の高さですが、高い石垣の屋敷地では門を設けない例も多くあります。
    石垣の内側は庭園となり、その奥に瓦葺屋根(本来は茅葺き)の主屋と納屋等の雑舎がある、緑豊かな住宅地となっています。

  • 2

    民俗芸能と食文化

    飫肥城下町には、江戸時代もしくはそれ以前からの民俗芸能や食文化が数多く伝わっています。その代表的なものが、飫肥の盆踊りである「泰平(たいへい)踊」や、隼人伝説にちなむ「田ノ上八幡神社の弥五郎人形行事」、中世から伝わる「四半的(しはんまと)」です。
    食文化についても、魚のすり身と豆腐、黒砂糖を合わせた「飫肥天」や、「厚焼き卵」などの食べ物や、地域に親しまれている焼酎蔵があります。

  • 3

    歴史的資源の利活用

    飫肥では歴史的景観を活かした数多くのまちづくり団体が存在し、観光ガイドボランティアの会や飫肥城下町食べあるき町あるきなど多くの活動が行われています。それらに加えて近年では、歴史的な建物を利活用した宿泊施設もオープンし、滞在客の利便性を高めるための活動も見られるようになってきました。

飫肥城由緒施設など

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