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日本を代表する明治の外交官小村寿太郎
日本を代表する明治の外交官小村寿太郎は、飫肥城下の町役人の長男として現在の生誕碑の場所で生まれました。その後、小村家が破産したため、明治時代後期に、生家は振徳堂裏に移築、さらに大正10年に現在地に移築されたものです。
老朽化の進んでいた生家を市が改修し、平成16年4月から公開しています。
小村寿太郎(こむらじゅたろう)
日向国飫肥藩(宮崎県日南市)に下級武士として生まれる。
大学南校(東京大学の前身)入学後、第1回文部省海外留学生に選ばれハーバード大学へ留学、法律を学んだ。
司法省に入省し大審院判事を経て外務省へ転出。
日清戦争後、駐韓弁理公使、外務次官、駐米・駐露行使を歴任。
1901年に第1次桂内閣の外務大臣に就任。1902年締結の日英同盟を積極的に主張した。
日露戦争における戦時外交を担当し1905年、ポーツマス会議日本全権としてロシア側の全権ウィッテと交渉しポーツマス条約を調印。
1908年成立の第2次桂内閣の外務大臣に再任。
幕末以来の不平等条約を解消するための条約改正の交渉を行う。
1911年に日米通商航海条約を調印し、関税自主権の回復を果たした。
日露協約の締結や韓国併合にも関わり、一貫して日本の大陸政策を進めた。
ACCESS
宮崎県日南市飫肥四丁目5-16INFORMATION
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